※この記事はMarketing Landの許諾を得て、以下の記事を翻訳したものです。
Study — Perhaps Flawed — Finds Sharing Much Higher On Twitter & Facebook, But Why Google+ Is Still Worth The Time
Umpf社による、各ソーシャルメディアのシェア数による比較調査によると、Google+は続ける価値がないかのように見える。しかし、そこにはGoogle+ならではの人の集まりがあり、検索に効果があり、ソーシャルメディアマーケターが無視できない価値が期待できる。
(※文中のシェア数やファン数などは原文作成時のものであり、キャプチャー画面、リンク先画面の現状と若干ずれがある場合がありますが、ご了承ください)
Google+はどれくらい人気があるのか?
再びアクティブユーザーについての議論をしようと思えばできたかもしれないが、それはもう経験済みの話だ。その代わりに、各ソーシャルネットワーク上のユーザーから獲得するシェア数を比較している、ちょっと変わった試みの新しい研究が公表されている。
この測定基準によると、Google+はTwitterとFacebookに、大きく水をあけられている。
しかしこれから説明するように、それでもなお、あなたのソーシャルメディアへの取り組みからGoogle+を外してしまうことは間違いかもしれない。そもそもこの研究は根本的に欠陥があるかもしれない。
- シェア数の比較:考慮すべき問題点
- アクティブユーザー数によって、シェア活動数を調整する
- Googleはビジネス向き、Facebookは健康向き、Twitterはエンターティメントと技術向き
- この研究の持つ大小の問題点
- Google+上でシェアする人々
- より大きな問題:アカウントが止めてしまう時
シェア数の比較:考慮すべき問題点
Google+を評価するのに、私自身のアクティビティのシェアで比較した。
同一のコンテンツをFacebookとTwitterとGoogle+を横断してシェアし、どれが各サービス上でうまくいくかを見るのは興味深い。我々のコンテンツがMarketing LandやSearch Engine Landから、どのようにシェアされるかは簡単に確認できる。また同じ話題が別のネットワークを横断して他人にシェアされるのをよく見かける。
そんな中、一般的にGoogle+のシェア数は、常にというわけではないがずっと低い。
もちろん、多くの要因が作用する可能性がある。
Google+上の私のシェアは150万人のフォロワーに広がり、それに対してTwitter上では25万人、Facebook上では13万人である。これらの数字を考慮に入れずに私の投稿のシェアを見る場合、FacebookとTwitterはGoogle+に水をあけられていると考えがちである。
だがもちろん、より少ないフォロワー数の他のサービス上で私が投稿したものが、より多くリシェアされることも多いのだ。
別の要因はコンテンツである。
Google+上では、Googleについての肯定的な内容は、否定的な意味合いがあるものよりずっとうまくいく。
対照的に、FacebookもしくはTwitterについて肯定的もしくは否定的な内容であることは、それがリシェアされることにおいて、ほとんど影響を与えないと個人的に感じている。私が見たところ、これらのサービスについては、オタク主義的にはなっていない。
アクティブユーザー数によって、シェア活動数を調整する
Umpf社からの新しい研究はこれらの要因を調整しようとするものだ。
この会社は100の新しい話題を取り上げ、それらがどのようにシェアされたかを調べている。
我々は100の無作為なオンライン上のエンターティメント、健康、ビジネス、技術、および一般のニュースの話題を分析し、それぞれの話題が何回Facebook、Google+、LinkedInおよびTwitterのユーザーによってシェアされたかを調べた。
Umpf社の3人のスタッフによって、インディペンデント、テレグラフ、フォーブス、CBSニュース、イブニング スタンダード、マッシャブル、およびテック クランチ含むウェブサイトを使って無作為にこれらの話題は取り上げられた。(サイトの)唯一の基準は、そのサイトには最低限として4つすべてのネットワークを示すシェアカウンターが付いていなければないということだけだった。
そして公表されているユーザー数を元に1億の人々の中から話題をシェアしそうな人々の数を算出し、各サービス上でシェア可能な、関係性を持つ読者に合わせ調整した。
調査結果より。
オンライン上の話題をシェアしたであろう人数は
- Twitterでは197.3人
- Facebookでは41.8人
- LinkedInでは15.2人
- Google+では6.0人
これは言い換えれば、以下のようになる。
- シェア獲得にLinkedInはGoogle+よりも2.5倍効果的である。
- シェア獲得にFacebookはGoogle+よりも7倍効果的である。
- シェア獲得にTwitterはGoogle+よりも33倍効果的である。
Googleはビジネス向き、Facebookは健康向き、Twitterはエンターティメントと技術向き
この研究ではコンテンツの主題によるシェア数の詳細な分析をした。
Google+上でシェア獲得を期待するなら、ビジネスニュース、そしてその次に技術ニュースが、一般ニュース、エンターティメント、そして健康の話題の順だ。
対照的にFacebook上では、一般ニュースが強く、それに健康が続き、そしてエンターティメントや技術関連が続く。
Twitter上ではエンターティメントや技術の話題に人気があり、健康やビジネスがそれに続く。
この研究の持つ大小の問題点
この研究における主な問題点は、目的の記事上に表示されるボタン上のシェアカウント数に基づいていると思われることであり、これらの数字はすべてのシェア数を表示していないということである。
Google検索内のGmail用の検索方法を発表しているGoogleに関する我々のSearch Engine Landの話題上にあるこれらのボタンを考慮しなくてはならない。
Facebookの「いいね」ボタンはシェア活動ではなく、好感度を示す活動を表すものである。あなたがFacebook上で気に入ったものは、あなたをフォローする人々へ、実際にシェアするようには広がっていかないかもしれない。
同様のことがGoogle用に表示される「+1」 カウントでもいえる。
Twitterに関しては、それはコンテンツの公開者がシェアしたかどうかに関わらず、Twitter上のURLをシェアしたあらゆる人に表示され、さらに、原文をリツートしているものがカウントされているかどうかもわからない。
それらは実に複雑だ。
そのため、それぞれのサービスを明快に比較するためには、それぞれのサービス上のコンテンツ公開者のアカウントを、調べるのが良い理由の一つである。少なくともそこでは、あるアカウントがあるサービスにおいて別のサービスより多くのフォロワーがいる場合、フォロワーグループや、シェア、調整、ニーズに合わせて、直接比較することができる。
これらの数字についてのこまかな問題点は、それらの数字はGoogle+のユーザーを少々多く見積もり、Facebookのユーザーを少なく見積もるカウントに基づいていることである。
この調査はFacebookがそのアカウント数を、9億5,500万に更新する前の、9億100万を使用したと認めている。
この調査はGoogle発表の1億7,000万ユーザーの数字を誤って使用している。
その数字(4月から)はGoogle+を「更新」した人々の数字であり、特定の月に何らかの方法でアクティブに使用したと考えられる人々の数字ではない。FacebookとTwitterがアクティブユーザーで報告しているものであるので、この数字をGoogle+も使用しなければならない。
以前私が書いた記事でこれらの比較の難しさを伝えたが、4月のGoogle+のアクティブユーザー数は、実際1億であった。
しかしながら、6月にGoogleがその数字を1億5000万人に更新した。これでUmpf社が使用した1億7000万という数字に十分近づいたといえる。
Twitterの数字は3月から公表されているもので、これより新しい数字を見たことがない。
Twitterの利用者はそれ以降も増加している可能性はあるが、それはTwitterのシェア活動がある程度多く見積もられているだろう。たぶんそれはわずかであり、Twitterには他の人々とシェアすることに関して大いなる優位性があるとはならない。
LinkedInに関しては、使用される数字はアクティブユーザーの数字ではなく全ユーザーの数字であると思われるので、LinkedInのシェア数の統計はたぶんある程度多く見積もられているだろう。
Google+上でシェアする人々
警告はこれで十分。大局の見地に戻ろう。
シェア数の統計に基づいて、Google+は失敗なのか? 答えは「ノー」だ。
その理由は以下のとおりである。
- Google+は「Googleファン用のアップルストア」である。
- Google+はGoogleとGoogle愛好者の間でお互いにやりとりする優れた方法である。
- Google+はFacebookが提供する支持層の広いソーシャルネットワークに対する唯一の代替手段である。
- Google+はGoogleが検索に役立つシグナルを集める手助けをする。
- シェアする機能がある。
上記の統計情報はTwitterもしくはFacebookでシェアすることに加えてGoogle+でシェアすることは時間の無駄であることを示唆する。
対して、以下を見てほしい。
Twitterでは481リツイートされたWiredの記事だ。青年はAmazonでテレビを注文したのに、銃を手に入れてしまったというもの。
いってみれば、WiredはGoogle+上で同じ話題をシェアするためにわざわざ2、3分手間をかけなくても済む可能性があった。そうすることで失うことになるものは何だろう?
同じ話題のGoogle+上での1,333シェア数である。WiredはGoogle+を見限らなかった。
Wiredには事実上Google+とTwitterの両方で同数の150万のフォロワーがいる。この場合、この研究が言うようにシェアすることについてはGoogle+上でははるかに値が上で、確かに時間を費やす価値があった。
これは、別の例だ。160万人のフォロワーがいるLondon 2012アカウントがTwitterに投稿した記事。
これは300リツィートを生み出した。
Google+上の投稿はこちら。
シェアはたったの42。
いいだろう。London 2012アカウントではGoogle+はTwitterフォロワーの半数だ。だがそれに合わせて調整して、シェア数がTwitterと同じ割合ならば、あなたは150前後のシェア数を期待できるだろう。
たとえシェア数がTwitterに比例してより少ないとしても、2、3分の仕事を惜しんで、どうしてこれらの40シェアを得ようとしないのか? どうして400近い「+1」を得ようとしないのか? それが検索順位を上げるかもしれないのに?
これはFacebook上の記事。
Twitterのフォロワーと同数くらいのファンがいるFacebookページでは、1,100のシェアがされた。
それは、この調結果によればFacebookの数値はもっと低くなければならないが、Twitterのほぼ4倍のシェア数だ。
Google+はそれにまったく及ばない。しかしこの投稿ではなく、London 2012からのこの投稿には560のシェアがあった。
こんな数字ではだめだろうか? では、この記事で741のシェア数ではどうだろう?
より大きな問題:アカウントが止めてしまう時
悩ましいのは(そしてGoogleにとっても悩ましいに違いない)、いくつかの低調なシェア活動ではない。
London 2012が既に止めてしまったことなのだ。
私はGoogle+も含めてGoogleとLondon 2012の間にはパートナーシップがあったと確信している。Googleはアクティブにこのアカウントをプロモートした。
それが今日どうなっているか? ここにTwitter上のLondon 2012がある。
最新の投稿は1時間以内前で、アイルランド出身のケイティ テイラーがライト級の女子ボクシングで金メダルを獲得しているニュースについてのシェアだ。
テイラーはそこにはいないが、2時間前から別の女子ボクサー(女子フライ級のイギリスのニコラ アダムス)による勝利がアップされている。
それより前は、昨日に遡って他の7つの投稿がある。
現在、Twitterと同じほど頻繁にはFacebookに投稿しないことには一理ある。多くの調査結果が、投稿を選び抜くことは大きなリーチを生み出すことを発見している。
だから2日間にわたって8つの投稿というのは非常にアクティブである。
現在のところ、今日のイベントからのニュースは投稿されていなかった。ボクシングの勝者が誰もいない。
加えて、この2日間にわたって2つの投稿があった(1日あたり1つ)。もし努力という言葉の意味が正しければ、これはうわべだけの努力である。
追記:私が上記のスクリーンショットを作った約15分後に、London 2012がついにニコラ アダムスをFacebookで行ったようなやり方で投稿した。
それはその投稿がFacebookになされてから約3時間後に行われ、そしてそれより更に遅れて他の多くの投稿がFacebook上にされたが、Google+上にはされなかった。
Googleがサポートしている企業ですら投稿を続ける価値を見いだせないのだから、そのほかのアカウントにとっては言うまでもない。
ましてや、これだけ低いシェア活動を表すデータがあるのだから。
しかしながら、私が言いたいのはGoogle+上に人々がいるということ。
それはシェアとトラフィックを生み出し、そしてそれが検索を含みGoogleが行っているすべてと、どれほどしっかりと統合されるか。
それを考えれば、ソーシャルメディア マーケターがそれを無視するのは愚かなことだと思う。
少しの時間で、あなたが期待もしていなかった、そしてたぶんそれ以上の偶発的なアクセスを目の当たりにするかもしれないからである。